いろいろ足りない

不足分を補いたい

冬休みの感想

小学生並なことをしているとはいえ、きちんと記録し振り返り次に活かせばこれほど役に立つものも無いと割り切る。
今年立てた目標と同様に、短期的にやりたいことをばーっと書き上げた。
結果、達成率85%とまずまず。残タスクも優先度の低いものばかりだったので、まぁ自分の中では良しとする。

自分の場合、十分な休みが取れる休暇中は動いてないと死ぬタイプになることが分かってきた(今この記事を書いているのもあまりに暇だからだ)。
冬休みは寒さと暇さで大抵心が病んでくるのだが、暇にならない程度のタスク処理でタスク紛らわせることができてよかった。
タスクを数項目挙げて休暇中はのんびりするぞってよりも、これ終わんのかなと数十項目挙げたのと、タスクに期日設定までせず今日はこれやろと臨機応変にできたのが勝因。
少ないタスク量では、明日やればいいやと結局必要以上に休んでしまう。そして病む。
一方でもう少し長期的な目標(300ページ超の技術書読破とか)を掲げても良いのかなとも思うが、そればかりになると飽きてくる。モチベ維持をどうするかという課題もある。
今回のやり方は記録して次に活かしたい。

まぁ良い休みであった。
明日から仕事だ、ストレスに負けずまったりがんばりたい。

2018年の振り返り

今年やり残したことをざっと消化しつつあるこの冬休み。
今年が何だったのか、自分の中でも整理しきれていない。
が、次に繋げていくためにも、きちんと振り返ることは大事だと思うので一応。
今年は厄年と言っても良いくらいだった。

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アドベントカレンダー2018

今年もこの季節がやってきた。
最近はもうQiitaが強いのかな。

Qiitaには購読機能もあるけど、ブクマ代わりに読みたいものをまとめておきたい。
qiita.com

コードを書かない人間に設計はできるのか問題

よくある命題。
kuranuki.sonicgarden.jp
いくつか調べてリンクを貼ろうとしたのだけれど、いきなり答えが出た。

「仕様の設計」は、ソフトウェアを作りたいと思う人(プロダクトオーナー)には、必ずしもプログラミングのスキルは必須ではないですが、そのソフトウェアのプログラミングを行うプログラマが一緒に入って設計しなければ、良い設計は出来ないでしょう。

ソースコードの設計」は、間違いなくプログラミングのスキルは必要になります。そもそも現代のプログラミングにおいて、ソースコードの設計とコーディングは不可分であり、それがもし分かれているとしたら、相当に非効率なことが起きているはずです。

別にプログラミングができずとも設計はできるとは思うけど、常に違和感がそこにはあった。
自分なら実装のしやすさを優先してこうするのになーと思う程度に非効率なものが生み出されているのだが、その非効率さが気付かれることはない。*1
何も知らない人間が適当に設計した結果、無茶な変更が入ったり、そこに危険性が隠れていたりと、良い設計にはならない。
故に、コードを書かない人間の設計は良い設計になりづらい、辺りを答えにするのはどうだろう。

*1:設計する側もレビューする側もコーディングできない場合が多い

割と不幸

仕事が楽しくない。
自分の思うように行っていないことが大きい。
自分はルールや秩序に基づいて、物事を進めるのが好きだ。
そこには理不尽が少ないからだ。
ただ、最近はルール無用に好きなことをやったもの勝ちになっている気がしている。
そこに秩序があるように思えない。
だからといって、経験上、自分がルール無用にやった場合はそれを責められる。
周りは好き勝手にやってもお咎め無し、のように思える。視野が狭いだけだが。
自分自身が大事なところに気付けていないだけな気はするが、その理不尽を受け入れられずにいる。
そういう場では、ルールの下に動く自分が必要とされている感がない。
ルールが無いほうが窮屈さを感じてしまう。
自分が合わないだけと判断して去るべきなのだろうか。

そこは無

働く上で、リーダーシップのスタイルについて悩むことがあったので、自分のメモ用として記しておきたい。
組織の上に立つ者のスタイルとして、大まかにはボス型・リーダー型があるとされる。
状況によって、上長に求められる姿は異なってくるとは思うものの、自分としてはリーダー型の方が望ましいと感じている。ボス型だと、その命令のみに沿って動く以上は、ボスの力がそのまま組織の力となってしまい、それ以上の成果を出すことができないからだ。
しかし、その点を差し引いても、彼が自分のスタイルはボス型であると言ったことに対しては、こちらも少し対応を考える必要がある。正直度肝を抜かれた。

何故ここまで驚いているのか。足りない要素が多すぎるからだ。
あくまで自分のイメージだが、ボス型であるならばそれなりの威厳や畏怖があって然るべきではなかろうか。命令に有無を言わせない。そのような感じがある。
しかしそもそもにおいて、彼はまず自分で何も動かない。こちらが何かしら言ってはじめて動き出す。部下が指示を仰いできて何かしらアクションする、なるほどこれならまだ分からなくもないが、本当に自分から全く何も動かない。自分はこうしていくという彼自身のビジョンなるものが見えない。これがボス型か?何か根本的に勘違いしてはいないだろうか。
また、彼のはどちらかといえば内向的な性格で、自己表現が苦手だという。一体何を言っているのかと思わなくもない。やはりそもそもにおいて合ってないと思うのだ。
それでも本人がそう主張するならこれ以上言うことは無いのだが、やはりお互いの不幸は免れない。

数回のやり取りを行う度に結構な断絶を感じていて対策と言える対策はもうないのだが、それでも歩み寄るのであれば、その理想とするボス型とは何か、その行為は理想とするボス型なのかを都度聞いてみることだろうか。ただそれに従うつもりは全く無いのだけれど。
あえて彼を擁護するならば、彼は特殊な環境におり、普通の人生を歩めなかったのではないかというのはある。そして彼は変わろうとしている。
しかし大変残念なことに、こちらが思うことは以下の通り。
正直もういい。疲れた。

ぼやき

どうしてこう、あの人のプロジェクトは炎上するのか。
そんなことをまた思っている。

実際にはチームワークやそのやり方に慣れる期間が必要であるにも関わらず、とりあえず人を増やしたらリソースが足りているなどと思っていたり。
実際に必要なのは運用方法とコミュニケーションなのだが、ツールを導入すればそれだけでうまく動くと思っていたり。
タスクを細かく区切って小さな目標を積み重ねれば良いところを、いきなりゴールを目指しだしたり。

その時はそうするのが最善だったと言う。しかしそのどれもが最善とは言い難い。
どれも特別難しくはないことで、それを怠った結果であると思う。
何よりそこからの学びが無い。だから失敗する。だから繰り返す。

失敗をまた繰り返したいのなら何も言うことはない。
二度と関わらないことを祈るばかりだ。

なつやすみのアレ

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

読んだ。

人の失敗への反応から失敗からの学び方まで詳しく書かれていて面白く読めた。
印象に残ったものとしては「クローズドループ」の考え方。
人が失敗を認めないとき、事実を捻じ曲げ正当化させそれによりさらなる失敗を招いてしまうといったように、閉じたところをぐるぐるループしてしまう。
クローズドループという訳だ。そしてその人はその成長の機会を失ってしまう。
……と、印象に残ったのはそういうことが身の回りで起きているからなのかもしれない。

現在、炎上に炎上を重ねているプロジェクトにおいても、明らかな失敗があったとは思う。
ここで非難を積み重ねていくようであれば、自分は今一度本書を読み直さねばならない。
何故そうなったのか、全て終わってからその検証くらいは行うべきだと思っているが、おそらくそういった検証が行われることはない。
検証できるだけの記録がない。仮に行われたとしてもデータではなく記憶に頼る検証になる。あてにならない。
失敗を繰り返すなと言われる。そもそもにおいてまず失敗を失敗と認めることがその前提にあるのであって、さらにその検証ができないことには……。

もちろん失敗というのは快いものでもない。
失敗に関する共通認識を持っていないと(場合によっては持っていたとしても)信用や信頼、そういったものを失いかねない。
あるいは非難を受ける。心理的なダメージを考えるとできれば避けたいと思う。しかし、そこに成長はない。
本書にもあるように、どうしてもできないものは合理的に諦めるのが良いとして、上手く失敗していきたい。
そんな欲を満たすためにも、まずは検証を経た失敗を積み重ねていくこと、失敗を失敗ときちんと認めることから始めたいと思う。