イレギュラーへの対応策
駄文を垂れ流す。
続きを読むアドベントカレンダー2018
今年もこの季節がやってきた。
最近はもうQiitaが強いのかな。
Qiitaには購読機能もあるけど、ブクマ代わりに読みたいものをまとめておきたい。
qiita.com
言語関連
Python Advent Calendar 2018 - Qiita
Python その2 Advent Calendar 2018 - Qiita
Kotlin Advent Calendar 2018 - Qiita
C++ Advent Calendar 2018 - Qiita
C# Advent Calendar 2018 - Qiita
C# その2 Advent Calendar 2018 - Qiita
JavaScript Advent Calendar 2018 - Qiita
JavaScript2 Advent Calendar 2018 - Qiita
ツール/プラットフォーム関連
Unity Advent Calendar 2018 - Qiita
Unity #2 Advent Calendar 2018 - Qiita
Unity #3 Advent Calendar 2018 - Qiita
一人Unity&C# Advent Calendar 2018 - Qiita
Android Advent Calendar 2018 - Qiita
Android #2 Advent Calendar 2018 - Qiita
Google Cloud Platform その1 Advent Calendar 2018 - Qiita
Google Cloud Platform その2 Advent Calendar 2018 - Qiita
Visual Studio Code Advent Calendar 2018 - Qiita
Slack Advent Calendar 2018 - Qiita
WebGL Advent Calendar 2018 - Qiita
PostgreSQL Advent Calendar 2018 - Qiita
Git Advent Calendar 2018 - Qiita
ライブラリ/フレームワーク関連
Django Advent Calendar 2018 - Qiita
Qt Advent Calendar 2018 - Qiita
Chainer/CuPy Advent Calendar 2018 - Qiita
OpenCV Advent Calendar 2018 - Qiita
Vue.js Advent Calendar 2018 - Qiita
Vue.js #2 Advent Calendar 2018 - Qiita
Vue.js #3 Advent Calendar 2018 - Qiita
その他
設計時の見落とし Advent Calendar 2018 - Qiita
設計・アーキテクチャ Advent Calendar 2018 - Qiita
ソフトウェアテスト Advent Calendar 2018 - Qiita
ソフトウェアテスト #2 Advent Calendar 2018 - Qiita
ソフトウェアテストの小ネタ Advent Calendar 2018 - Qiita
Engineering Manager Advent Calendar 2018 - Qiita
Engineering Manager vol.2 Advent Calendar 2018 - Qiita
闇の魔術に対する防衛術 Advent Calendar 2018 - Qiita
コードを書かない人間に設計はできるのか問題
よくある命題。
kuranuki.sonicgarden.jp
いくつか調べてリンクを貼ろうとしたのだけれど、いきなり答えが出た。
「仕様の設計」は、ソフトウェアを作りたいと思う人(プロダクトオーナー)には、必ずしもプログラミングのスキルは必須ではないですが、そのソフトウェアのプログラミングを行うプログラマが一緒に入って設計しなければ、良い設計は出来ないでしょう。
「ソースコードの設計」は、間違いなくプログラミングのスキルは必要になります。そもそも現代のプログラミングにおいて、ソースコードの設計とコーディングは不可分であり、それがもし分かれているとしたら、相当に非効率なことが起きているはずです。
別にプログラミングができずとも設計はできるとは思うけど、常に違和感がそこにはあった。
自分なら実装のしやすさを優先してこうするのになーと思う程度に非効率なものが生み出されているのだが、その非効率さが気付かれることはない。*1
何も知らない人間が適当に設計した結果、無茶な変更が入ったり、そこに危険性が隠れていたりと、良い設計にはならない。
故に、コードを書かない人間の設計は良い設計になりづらい、辺りを答えにするのはどうだろう。
*1:設計する側もレビューする側もコーディングできない場合が多い
割と不幸
仕事が楽しくない。
自分の思うように行っていないことが大きい。
自分はルールや秩序に基づいて、物事を進めるのが好きだ。
そこには理不尽が少ないからだ。
ただ、最近はルール無用に好きなことをやったもの勝ちになっている気がしている。
そこに秩序があるように思えない。
だからといって、経験上、自分がルール無用にやった場合はそれを責められる。
周りは好き勝手にやってもお咎め無し、のように思える。視野が狭いだけだが。
自分自身が大事なところに気付けていないだけな気はするが、その理不尽を受け入れられずにいる。
そういう場では、ルールの下に動く自分が必要とされている感がない。
ルールが無いほうが窮屈さを感じてしまう。
自分が合わないだけと判断して去るべきなのだろうか。
そこは無
働く上で、リーダーシップのスタイルについて悩むことがあったので、自分のメモ用として記しておきたい。
組織の上に立つ者のスタイルとして、大まかにはボス型・リーダー型があるとされる。
状況によって、上長に求められる姿は異なってくるとは思うものの、自分としてはリーダー型の方が望ましいと感じている。ボス型だと、その命令のみに沿って動く以上は、ボスの力がそのまま組織の力となってしまい、それ以上の成果を出すことができないからだ。
しかし、その点を差し引いても、彼が自分のスタイルはボス型であると言ったことに対しては、こちらも少し対応を考える必要がある。正直度肝を抜かれた。
何故ここまで驚いているのか。足りない要素が多すぎるからだ。
あくまで自分のイメージだが、ボス型であるならばそれなりの威厳や畏怖があって然るべきではなかろうか。命令に有無を言わせない。そのような感じがある。
しかしそもそもにおいて、彼はまず自分で何も動かない。こちらが何かしら言ってはじめて動き出す。部下が指示を仰いできて何かしらアクションする、なるほどこれならまだ分からなくもないが、本当に自分から全く何も動かない。自分はこうしていくという彼自身のビジョンなるものが見えない。これがボス型か?何か根本的に勘違いしてはいないだろうか。
また、彼のはどちらかといえば内向的な性格で、自己表現が苦手だという。一体何を言っているのかと思わなくもない。やはりそもそもにおいて合ってないと思うのだ。
それでも本人がそう主張するならこれ以上言うことは無いのだが、やはりお互いの不幸は免れない。
数回のやり取りを行う度に結構な断絶を感じていて対策と言える対策はもうないのだが、それでも歩み寄るのであれば、その理想とするボス型とは何か、その行為は理想とするボス型なのかを都度聞いてみることだろうか。ただそれに従うつもりは全く無いのだけれど。
あえて彼を擁護するならば、彼は特殊な環境におり、普通の人生を歩めなかったのではないかというのはある。そして彼は変わろうとしている。
しかし大変残念なことに、こちらが思うことは以下の通り。
正直もういい。疲れた。
ぼやき
どうしてこう、あの人のプロジェクトは炎上するのか。
そんなことをまた思っている。
実際にはチームワークやそのやり方に慣れる期間が必要であるにも関わらず、とりあえず人を増やしたらリソースが足りているなどと思っていたり。
実際に必要なのは運用方法とコミュニケーションなのだが、ツールを導入すればそれだけでうまく動くと思っていたり。
タスクを細かく区切って小さな目標を積み重ねれば良いところを、いきなりゴールを目指しだしたり。
その時はそうするのが最善だったと言う。しかしそのどれもが最善とは言い難い。
どれも特別難しくはないことで、それを怠った結果であると思う。
何よりそこからの学びが無い。だから失敗する。だから繰り返す。
失敗をまた繰り返したいのなら何も言うことはない。
二度と関わらないことを祈るばかりだ。
なつやすみのアレ
- 作者: マシュー・サイド,有枝春
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2016/12/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
人の失敗への反応から失敗からの学び方まで詳しく書かれていて面白く読めた。
印象に残ったものとしては「クローズドループ」の考え方。
人が失敗を認めないとき、事実を捻じ曲げ正当化させそれによりさらなる失敗を招いてしまうといったように、閉じたところをぐるぐるループしてしまう。
クローズドループという訳だ。そしてその人はその成長の機会を失ってしまう。
……と、印象に残ったのはそういうことが身の回りで起きているからなのかもしれない。
現在、炎上に炎上を重ねているプロジェクトにおいても、明らかな失敗があったとは思う。
ここで非難を積み重ねていくようであれば、自分は今一度本書を読み直さねばならない。
何故そうなったのか、全て終わってからその検証くらいは行うべきだと思っているが、おそらくそういった検証が行われることはない。
検証できるだけの記録がない。仮に行われたとしてもデータではなく記憶に頼る検証になる。あてにならない。
失敗を繰り返すなと言われる。そもそもにおいてまず失敗を失敗と認めることがその前提にあるのであって、さらにその検証ができないことには……。
もちろん失敗というのは快いものでもない。
失敗に関する共通認識を持っていないと(場合によっては持っていたとしても)信用や信頼、そういったものを失いかねない。
あるいは非難を受ける。心理的なダメージを考えるとできれば避けたいと思う。しかし、そこに成長はない。
本書にもあるように、どうしてもできないものは合理的に諦めるのが良いとして、上手く失敗していきたい。
そんな欲を満たすためにも、まずは検証を経た失敗を積み重ねていくこと、失敗を失敗ときちんと認めることから始めたいと思う。
権限の移譲についてのメモ
- 作者: Kenneth S. Rubin
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2014/08/01
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (3件) を見る
権限委譲には7つのレベルがあり、レベルが高いほど委譲のレベルも高い。
検索するといろいろ出てくるが、その大半は下記の書籍を参考なり引用しているようだ。
- 作者: Jurgen Appelo
- 出版社/メーカー: Addison-Wesley Professional
- 発売日: 2010/12/28
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 2人 クリック: 38回
- この商品を含むブログを見る
以下はエッセンシャルスクラムに書かれていた権限レベルと内容を簡単にまとめたもの。
1.通知:決めたことをチームに伝える。
2.説得:決めたことをチームに説得し、納得させる。
3.相談:チームの意見を聞いて決める。
4.合意:チームと一緒に決める。
5.助言:助言を与えるが、チームが決める。
6.確認:チームが決め、後で聞く。
7.委譲:すべてチームに任せる。
さて、権限を委譲する際での認識の違いについて考えてみたい。
例えば、権限の委譲者は6の確認のつもりだった(のかもしれない)が、チームは1の通知のように認識してしまった事例が実際にあった。
考えられる要因は下記のような内容だろうか。
・委譲レベルが適切でない(あるいは委譲レベルが混在している)
・それは内容に対して適切でない
・それはチームのレベルに対して適切でない
・伝え方が適切でない
・伝える側の役職が適切でない
今回の件に限って言えば、互いの認識の中間であることや、チームのレベル、伝える側の役職からも3の相談や4の合意で決めた方が適切であった。
伝え方においても、判断材料やその背景を十分に共有しないまま急に決めろと言われても、という感しかなかった。
それでいて何故6の確認でやろうとしたのか謎。*1
まぁ自分にとっても5の助言や6の確認は特に難しいとは思う。
チームに決めてほしい内容自体は別にあるものの、その決めてほしいという決定自体は1に該当しそうな感じがするからだ。
とはいえ、伝える側はそういった認識を持った上で伝え方ややり方を工夫すべきだし、あるいはあらかじめ相談や合意を取っておく方が良いのかもしれない。
参考:
developers.cyberagent.co.jp
以前より、権限の委譲についてもやついていたところがあったので*2、これはどのレベルにあたるのか、またどのレベルが適切なのかを考えていければと思う。
自己肯定感本
自己肯定感、持っていますか? あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法
- 作者: 水島広子
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2015/06/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
1時間ほどでガーッと読めた。
「こうすべきだ」という他人への評価や決めつけに対し、それには「何か事情があるんだな」という気付きを与え、自分自身にも事情があることを認識させていくような流れであり、よくある「(無理矢理)ありのままの自分を認めましょう」という内容ではなかった。
自分が感じたものとしては、自縄自縛な自分の判断基準・決めつけをまずは緩める、そして無くすことが課題なのかなと。理想、規範、そうしたものを自他に求める今の自分には耳の痛い話ではある。
また、本書でもその対策は述べられてはいるものの、こうしたことを相互にできるような人間関係や環境があることが望ましくあるのでは、その逆である場合は、と思わなくもない。
いや、そうした環境が自分には無かったということか。
まぁともあれ、冷静な考え方として取り入れていければと思う。