何者にもなれない者にもなれない者の生存戦略
歳がほぼ同じなこと、考え方も似ていることもあり非常に共感した。
teitei-tk.hatenablog.com
また、思うままにブコメしたらお星様を頂けたのでもう少し言及してみようと思う。
きっと何者にもなれない自分というエンジニアとしての生存戦略 - teitei's blogb.hatena.ne.jp何か新しい技術があればとりあえずかじってみるが、その道のスペシャリストにはなれない。広く浅くが何者にもなれない正体だと思っている。しかし、狭く深くは生き延びる戦略として、良いとは言えないんだよなぁ……
2016/10/27 12:48
自己批判的に書くつもり。
もし、不快に思われる箇所があれば、それは僕自身に深く突き刺さるブーメランである。
他人の意見を受け入れない人
またまた(ry。
元より優秀であり、入社以後、瞬く間に社内ヒエラルキーという名の階段を登っていった人。
基本的には問題は無いんだが、意見が合わない時に煽る癖があるというか、それがいまいち気に食わない。
異なる意見を受け入れず、そもそも対話が成立しないことが多々ある。
意見の裏には理由があって、そこを掘り下げてから聞き捨てるかどうかの判断は下すべきで、
傾聴するというプロセスは挟んでしかるべき。
一方で、そこを辛抱強く主張していくのはこちらの責任か。
急に戦闘モードになり、穏やかに歩み寄ることをしていない気はする。
どちらの立場に立つにせよ、これらを自戒として心に留めときたいが、
アドリブが必要となるコミュニケーションはどうにも苦手だ。
社内野党な人
またまたまたまた愚痴。例によって自分は棚に上げている。
社内野党な人がいる。
何をやっても難癖つけるような人だ。
うまく嵌れば建設的な議論に持っていけるわけだが、あれもこれも反対しているのを見ると、別に自分が反対されていなくとも嫌気が差してくる。
経験や技量があるから反発するのか、それとも幼いコンプレックスでもあるのか。
自分としては転けた人を笑わないのと同様、集団の中で行動を起こす人はそれだけで評価したい。
そして行動を起こさずただ批判をする行為には、あまり良い評価を行うことができない。
ただ、見方を変えれば改善策を提供しているとも言えるので、見えないところで交通整理をしておくべきなのだろう。
そんなことを思う最近。
chainer本買った
- 作者: 新納浩幸
- 出版社/メーカー: オーム社
- 発売日: 2016/09/09
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気になる本書で解説されているchainerのバージョンは、執筆時での最新であった1.10.0。
2016/09/10時点での最新バージョンは1.15.0.1。
ざっと読んだところ、自然言語処理をベースにchainerを解説している感じ。
ひとまず紙でぱらぱらと読んで参照できるものが欲しかったのでありがたい。
取り急ぎ。
vtk ウィンドウ 埋め込み
知らないとどうしようもないのでメモ。
renderWindowのSetParentId関数(ウィンドウ全面に表示したいならSetDisplayId関数)を使う。
その他、SetSizeやSetPositionを使えばやりたいことはできるかと。
VTK: vtkWindow Class Reference
VTK: vtkRenderWindow Class Reference
SetParentId関数の引数にはウィンドウハンドルを突っ込む。
MFCならGetSafeHwndなどを使うと良い(流石に古いか)。
まぁvtkをラップすればC#,WPFとかでも使えるけども。
ウィンドウハンドルが分からなければ調べてから使うこと。
少し困った人の話
自分自身が最も困った人間であることは棚に上げている。
技術的、経験的に自分を超える人であり、ケチを付けるつもりはないのだが、
何かが足りない人が今回の対象。
感覚的になるが、人間的な度量だとか、ちょっとした言葉遣いだとか、
その辺りが少し足りていないのかなと。
あと、マネジメント部分に疑問がある。
それでいいの?と言いたくなる時がいくらか。
結果は出す人なので、その人個人のやり方には口を出してはいけないし、
出すつもりはないのだけれど、全体最適を考えた時に、ちょっとした障害になるなと。
「俺のやり方」は決して間違っていないが、もう少し良いやり方はきっとあるよと、
そんな柔軟さがあって欲しいところ。
そんなことを最近よく思ったのでメモ。
困った人に対する対処方法の検討
最近同じようなことばかり書いている気がする。
これでもその度に対策を打ってはいるのだが、相手は想像の遥か下を行くため厄介。
根本的な解決策が望まれるが、その根は回を重ねる度に地中深くへと成長している。
言い直そう。非常に厄介である。
無能一人でここまで大勢を困らせるのはもしかしたら有能なのではないか
という皮肉。そしてまた愚痴である。
コミュニケーション不足によるトラブルは絶えない。
事前に連絡が行っていれば、何らかの相談があれば、大抵のトラブルは回避できると思う今日この頃。それだけに重要な意思の疎通であるが、それは意思疎通の内容が重要性を持って初めて発生する。頻繁に今の天気を連絡しあっても、気象庁や天候に左右される業種でもない限り、そこに意味は無い。
物事の重要性を理解していない。そこにあるリスクを把握していない。困ったことに、このような場合でも意思疎通が行われない。このような人間が適切に連絡や相談ができるかといえば、そうではないと僕は思う。
そして現に、まさに現在進行形でトラブルを生み出している。
自分が思うに、今回のトラブルの落とし所としては、
1.現時点で新規の対応を停止。
2.進行中のものについては確度の高いもののみ対応し、それ以外は棄却。
で良いはずなのだが。
どんな策を取るにせよ、現時点で対応を停止するのは必須。
まさか継続的に対応する予定ではないとは思いたいが、手を打っていないヤバさ。
頭が痛い。
まぁ良い知らせとしては、無能には案があり、責任も取ってくれるのだそうだ。
予想される案はきっと、成功しても失敗しても悪い結果しかもたらさないのだけれど。
未来予知に近い形で、ここに記録として残しておく。
2016年にやりたいこと(後半戦)
相変わらず英語、数学、プログラミングやってる(やってるとは言っていない)。
harist.hatenablog.jp
harist.hatenablog.jp
困った人たち
困った
それほど仕事上で自分が関わる人は多いわけではないのに、困った人たちが多い。
自分もその一員ではないことを信じたいところ。
前回同様、自分を棚上げした愚痴であり、自戒や反面教師にもしたい。
何が困った?
困った人たちを見てると、自身の無能を責任転嫁してくる共通項がある。
ほんの些細なことさえ自分で決められず他人に支持を仰いだ上で、その責任を転嫁してくる。
万が一その判断が間違っていた場合は目も当てられない。
間違いなく支持を任せたという責任はその人間にあるべきなのだが、間違っていた手前それを指摘するのも憚られる心情がある。よってそれがまかり通る。困った人たちをさらにつけ上がらせる。後々執拗に責めてくる。ちっせえなぁと思いながら、はいはいとこちらは聞いている。
良い心を持った人が周りにいるために起きる不幸でもある。
理不尽で不愉快極まりなく、仕事をやりづらくしている訳だが、本人たちはそこに疑念を抱いていなさそう。
仕事とは理不尽で不愉快であるものと納得してしまっている。そんなところが最も困ったところなのかなと。
対処方法
わざわざ人を変えようとは思わないし、思考停止で関わらず無視するのが一番だと思っているが、対処せざるを得ないシーンもある。
一度困った人と認定した人に対しては、今後、どんな些細なことに対しても事前に責任を明確化させておくのが良いのかなと。
はぁめんどくさ、という感想。