いろいろ足りない

不足分を補いたい

供養と原点

先日、現職での最後の出社を終えた。
最後の日でさえも不快な出来事はあったが、不思議と怒りや悲しみといった感情は無かった。
もはや会社に対して抱いている期待が一切無くなってしまったせいだろう。
自身の気持ちの整理というか、ただ文句を書くだけになるかもしれないが、これまでを振り返ってみたい。

入社時から地獄だった。残業時間が月100時間を超え、毎日栄養ドリンクを飲む始末。
栄養ドリンクに罪はないが、それ以来何かしら栄養ドリンクに頼ると過剰に疲れる体質になったのはきっと気のせいではない。
自身が開発プロセスやマネジメントに興味を持ち出したのは、全て気合と根性で乗り切る企業的体質があったためだ。
今では適切な開発プロセスやCI/CDの取り組みで軽減できると思う程度に知識も身に付けたが、今後もそれらがトップダウンで行われることはないだろう。
テストをしていないから、自動化させていないから、だから時間が足りない、だから品質が足りない、といったことが理解される日は永遠に来ない。
今後も「やりきるしか無い」と根性論で乗り切ろうとすることだろう。
自身が入社する前から去っていくその日まで、その成長がなかったことは残念に思うと共に、今後も変わらないことを望む。
もう自分には関係がない。

人が増え、人が減った。
プロットすれば綺麗に放物線を描いていると思う。
結局のところ、企業は人を大事にする必要があって、それは業務へのバフ効果となって表れる。少なくとも0以上の状態には保つことができる。
その逆はデバフ効果になれば良い方で、基本的に人が去るだけだ。
さらに連鎖反応もあって、良い人が辞めるほどその効果が強まるから手に負えない。
金を集めて正しく食わせてやっている側からすれば、金さえやれば十分と考えるのかもしれない。
ただ、勘違いしてはいけないところは、何をやっても良い訳ではないことだ。
その社員の代わりはいるかもしれないが、その社員にも代わりの会社はある。
数は力だ。単純な労働力であったり、多様性であったり。
ただ、うまく人を活用できる環境や仕組みがないと、結局のところ人は定着しない。
活躍できる場も用意できず、ただ金だけを消費していき、人を減らすことになる。そこで得るものはない。
人が減ると、人数が多いときの状態を維持しながら、その資産が無くなる前に新たな資産を作り上げる必要がある。
見方を変えれば人数が多いときの資産を少ない人数で利用できる、言わばブーストがかかっている状態とも言えるので、人員減少が吉と出るか凶と出るかはわからないが、自分には現状維持が精一杯だと見ている。
仮に成功したとしても、人を大事にする土壌がないので、結果人が増えることはなく、今後の成長はないと言える。
そういう気持ちのバイアスが大きくかかっていることは否定しないが。

逆に得たことや反省点は何だろうと考える。
整理整頓はきちんとしておくこと。それは身の回りの物から、電子ファイルはもちろん、頭の中の知識に至るまで。
少なくとも表面上はイエスマンとしてうまく立ち回ること。
手を抜く場面とそうでない場面を切り分けておくこと(過去の自分に苦しめられることが多かった)。


地獄を知っているので、この先はきっと楽だということ(当然その中でのしんどさはあるのだろうが)。


自分の人生を取り戻していきたい。
そのために頑張りたい。