いろいろ足りない

不足分を補いたい

人格

働く上で人格は必要だろうか。
役職を演じることで求められる役割を果たす。
確かにそういう考えはあるし、それでストレスが軽減されたり、それも仕事のうちと割り切れるならそれでも良いのだろう。
ただ自分としては、そういった考えの下では人の気持ちを考慮せずその役割を押し付けがちで、仕事における不幸の要因だと思っている。

仕事を果たしているから何やっても良いという考えを持つ人、というか実際にそのような行為をした人がいた。
そしてそれは決して褒められるべき行為ではない。
しかし自分以外にそれを咎める人がおらず、自分としては面白くないというのが、この記事を書いている理由。
話を戻そう。
その人をよくよく見てみると、自分を顧みる様子はなく他人を見下すばかりで、仕事をしているのもただ自分の思い通りにしたいから、自分が正しいのを示したいから、そんな権力に溺れた感じすらある。周りを良くしたいという心が見えない。仮にあっても自分のためありき。

自分としてはこうならないために人格は要る。
どんな権力を持っても、自分を満たすためではなく、他者を守るために使おうと思う。
自分の技術は他者へのマウンティングのためではなく、困難を解決するためにある。
そのような要素がその人に一切感じられないから嫌悪しているのだと思う。
そのような要素がその人に一切感じられないから人間としても技術者としても尊敬ができないのだと思う。
(反対にその要素が多分にあり、周りに尊敬できる人が多くいるから、余計そう感じられるのもある。)

感情的だろうか。しかしもう今後は無関心であろうと決めた。
もちろん気に食わないことは多々出てくるんだろうけど、結局ただのクズだとわかったし、自分がそれに時間を割く道理は無いのだから。
仕事ができる人間と仕事しかできない人間は違うと思うのだ。その差は人格にある。