いろいろ足りない

不足分を補いたい

常に自戒

まえがき

新年明けて3週間経ち、皆正月ボケから覚め、仕事モードとなった。
そしてあぁここは地獄だったと思い出させてくれた。
対人ストレスだ。
つまるところ他人はストレス源でしかない。
ただ自分自身は他人のストレス源にはなり得ないと、ふと信じてしまうのが面白いところ。

今回は豪華二本立てだ。

否定する人

開発に関する議論をした。
その中でアイデアを出した。
真っ向から否定された。


起きたことを言えばこれだけだ。
そこまでアホなことを言った覚えはなく、事実、組織全体にとって役に立つことを言ったつもりだ。
それを何故かトップのお気に入りで、まともに開発もしたことのない人間が否定した。不思議だ。


自分は、自分がやったこともない事をわざわざ否定しようとは思わない分、とても新鮮ではあった。あまりに愚かだ。
本当に「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」という程度の低い煽りでもかまそうかと思ったくらい。
事実その通りなのだし。
ただ、今はそれを正そうとは思わない。組織自体が狂っている。
今の組織がどうなろうと正直構わない。
自分に害が来ない限りは、彼の愚かさに付き合おうと思う。

まぁここまで書くくらいには不快ではあったので、今度からは何故そう思うのか理由くらいは問うてみようと思う。
案外自分にしろ相手にしろ、ただ言葉が足りないことによるすれ違いなだけだったりする。

べき論な人

「○○すべきなんですよね」
何度聞いたことだろう、この台詞。
「じゃあやれよ。具体的なアクションに落とし込んでくれ」
そして何度こう思ったことだろう。

怒り、呆れ、そしてそのフェーズを通り越して、その両方が同時にやってくるまでになった。
議論するのが大好きな人がいる。
正直最低限の意思統一さえ図れれば、あとは時間の無駄。
議論しているその時間である程度解決まで持っていけると思う自分には不可解でしかたない。
まぁ話すことである程度の安心感みたいなのは得られるのかもしれない。
そして冒頭のべき論に着地して議論が終了する。問題が解決されることはない。

ならお前はどうなんだ

そう自問する。他人に指摘できるほど、そこまで高尚な人間ではない。
そう自問し、自戒とし、自分はそうならないよう努めることはできる。
否定せずにまずは何故そう思うのか聴くようにする。
すべきと思うことがあるなら、アクションを取るまでやりきる。
ストレス源たる他人を、我が身の振り方を直す糧とする。
それを不快でどうしようもないストレスから得られる対価としたい。
常に自戒だと、そう思った。