いろいろ足りない

不足分を補いたい

2017年の振り返り

今年もお世話になりました。
また生き延びることができて何より。
今年の振り返り。
harist.hatenablog.jp

英語

実務で使う機会が多くなり、相手の気遣いによるところが大きいが、日常的なコミュニケーションは取れるようになった。何より英語を発することに抵抗がない、英語が自分の口から自然にスッと出てくる状態になったのは大きい。
しかし、疲労が蓄積すると相手の言っていることが全く分からなくなることもあり、もっと自分の血肉になるように習得していく必要があるのかなと。
自分で勉強してきたことと言えば、英文法を学んで、ラジオ英会話を4月から続けてみた。
その効果の程は自分ではあまり実感できないものの*1、ある程度は基礎となったと信じたい。

数学

全く手を付けられていない。一年かけてこの体たらくだが、実務で必要となることも少なくなり、これはこれである種の危機感を抱いている。元々あるのかどうかはさておき、せめて数学的な思考力が錆びつかないようにしておきたいが。

プログラミング

今年一番充実したと思う。UnityやWeb関連の基礎項目(HTML/CSS/JavaScript, jQuery)などなど。
自分にとってweb界隈は衝撃的ではあった(こんなに楽にいろんなことができるなんて)。
逆に好きなC++に全く手を付けられておらず、これはこれで少し危機感。

その他

2017年は新しいことがたくさんできたように思う。
技術的に得られたものは多く充実こそしているが、反面、自分の人生や所属組織について考えることが多かった。
本当にこれで良いのか、正しい在り方と現実とのギャップに悩むことが多かった。
市場での自分の価値、会社内での自分の価値、その両方を高めることを忘れないようにしておきたい。

最後に

今年終盤になって、中学の頃から飼っている猫が体調を崩した。例によって腎不全。
今年は生き延びたが、来年の今日にはもういなくなっていることだろう。
来年は辛い一年になりそうだが、それすらも自分次第なのだろう。
悲しみに打ち勝つなんてことは考えなくて良い。抱えて前に進めるだけの強さを持つべきだ。
ただ、自分にはそんな強さはなく、その時の準備として今ここで別れを告げておきたい。

今までありがとう。

*1:結局実践に勝るもの無し。100の教材より1人の英語を話せる人。かと言って英会話教室などは得られる経験値に対して時間単価が高すぎるように思える

スピード感とは何だろう

最近、経営・組織マネジメントについて疑問に思うことがある。特にスピード感なるもの。
身の回りでは局所的なスピードを優先されることが多く、ふと大局的なスピードを考えた時に「あれ?」と思うことが多々ある。


スピードは早すぎても遅すぎても駄目だと言うのが自分の感覚で、自分の中では不安要素や疑問点が完璧ではないにせよある程度無くなったタイミングが、物事に取り掛かるべき時だと思っている。
局所的なスピード感を大事にする人からはこれでは遅いと言われるが、トータルとしてかかった時間としては、結局同程度か自分の方が早いことの方が多い。
何も考えずその場で決めてしまった結果、後々影響が発生し調整作業が入るからだ。もちろんそこには金や時間がかかる。
実際そのような例を何度も見てきた訳だが、不幸にも決定した本人はあまり気に留めていないようだ。
スピード感をもって決断を下した。決定した。決めた。本人たちはそれで満足なのだろう。
この辺りが闇というか、言っても通じないというか、本当にうんざりさせられる部分ではある。
頑張って思考をトレースするならば、「何故決めたのに文句を言われるのだろう」といったところか。救いがない。


とりあえず決める。それが良いのかどうか。卑怯な言い方をすれば、ものによるのだろう。それで良いときも悪いときもある。
しかしそれすらも考えないままの決定は、結局労力も金も時間もかかり時には信頼を失うこともあり、あまり良い結果を招かない。
自分も昔は極端な選択をすることが多かったが、最近はこう思う。良いバランス感覚を保っていきたい。

優秀な人を組織で活かすためには

タイトルに対する答えはない。


職場に天才と呼べる人間がいる。
目の前の困難な課題をただ純粋に解決していくようなタイプだ。
正直、その圧倒的な違いに自分の力が信用できなくなって、無気力になってくる。
この才、地頭の良さを目にすれば、誰もが欲しがる人材であろうことは、狭い世界で生きてきた自分でもよく分かる。


それ故に、誰もその天才の開発スピードについていけない。その天才とチームワークを発揮しづらい。
凡才たる自分とは何もかも違うからだ。
研究職など、個人の才能が物を言う世界ならそれでも良いのだろう。
だが、ビジネス・製品づくりにおいて組織力やチームワークが物を言う世界ならどうなのだろうかと。
現に今はそのあたりが上手く行っておらず、その天才の短所と言うべき点が如実に現れている。
誰もそのフォローができないからだ。


また、その天才の言動も厄介で、例え勘違いであってもすぐ怒る。他人を傷つけるようなことを平気で言う。
傍若無人であり、他人に自分のケツを拭かせるような行為も厭わない。
そこにチームとしての心理的安全はない。
チームワークを発揮しづらい人間性であることは多少残念であり、これは凡才のやっかみそのものなのかもしれない。


今回の学びとしては、長所を活かし短所を補う基本を捨て、その天才に全てを任せる組織づくりになったことにあると感じている。
無敵の人間などいないように、如何に天才と言えど何でもできるわけではない。
組織であれば尚更。
仮に自分が組織づくりを決める立場にあれば、自分もそうした可能性があったが、現在直面している課題を前に考えを改めてみようと思う。



くだらない羨み妬みが根本にあるのかもしれないが、少しその天才と衝突して落ち込んでいるのでメモ。

優秀さとは何だろう?

仕事が立て込んでおり、余裕が無い。
一日何も食べず仕事をし、帰宅後うがいをしていたら急に気持ち悪くなって胃酸を吐いた。
その原因はおそらくストレスによるものだろう。体力的にも精神的にもダメージを負っている状態だ。
そのストレスの原因はといえば、つまるところ職場での自分の無能さに起因しているのだが、逆に優秀さとは何だろうと考えてみる。

1.頭が良い、切れる
人によって頭が良いとする定義は異なるかもしれないが、優秀と評価される最初の条件であろう。
自分の中では、問題や課題を見つけ、素早く最適な形で解くことができる人が頭の良い人だと思う。
その上で、学問を修めていると尚良し。


2.思いやりがある、他人の気持ちを推し量れる
いくら頭が良くとも性格や人間性を疑われていては、やはり優秀と言い切れなくなる。
自分の都合だけを優先させ、他人に迷惑をかける例を何度も見てきた。
たとえ頭が良くとも、そんな人が優秀だとは思えない。
言うまでもなく人間は感情を持つ生き物だ。
感情に振り回されるべきではないが、同時に感情を否定すべきでない。そう思う。


3.ユーモアがある
持論の域を超えないかもしれないが、1と2の要素を兼ね備えていないとユーモアは生まれないと思う。
しかし、頭が良くて、人の気持ちを汲めて尚、つまらない人もいる。


仕事上ではマネジメント能力だとか、経験だとか様々な要素が絡んでくるのだろうけれど、まずは人としての重要となる面を大切にしていきたいところ。

身の回りでのプロジェクトが燃えやすい理由を考えてみた

後々モヤモヤとした気持ちを引きずってしまうと思ったので、上手くできるかどうかは別にして、言語化して残しておこうと思う。
また、身の回りでの出来事を単なる作業要員の立場でやんわりとボカして書くので、全てにこれが適用できるかというとそうではない、むしろレアケースな部類だと思う。


プロジェクトとはどうあるべきだろうか。
PMBOKを参考しましょうとでも言われそうだが(実際否定はしない)、多忙になっていくにつれてそんなことを考える余裕など頭から消えていくのではなかろうか。

では、プロジェクトリーダーとはどうあるべきだろうか。
これだという答えをはっきりと言うことはできないが、プロジェクトを成功させること、目的を達成すること、それに尽くすことではなかろうか。

では、プロジェクトが炎上しないようにするためにはどうするべきだろうか。
プロジェクトリーダーはやる気が無い訳ではない。特段無能であるわけでも無いとは思う。
プロジェクトリーダーは全力を尽くしている。しかし燃えやすい。
多分、ここがモヤモヤとしているポイントだと思う。


何故燃えるのか。自分なりに分析を加えてみた。

有り体に言えば、歩を前へ進めることができていない。
多分、初歩の初歩ができていない。
最初から止まっている。あるいはずっこけている。

例えば、肝心のそもそもの目的の共有をしていなかったり。
誰が何をやっているかを把握していなかったり。
手配、根回しが必要なことを放置し、必要な時に必要なものがなく後手に回ったり。
指示と言える指示を出していなかったり。

肝心の手足を上手く扱えていないのでは、どこにも行けない。
その結果、火を小さなうちに消すこともできず、ただ燃え上がってしまう。


では、何故そのような初歩的なことができていないのか考えてみた。
初めは多忙さによるものが原因かと考えた。抱えるプロジェクトは一つ二つではないからだ。
しかし、押さえるべきところを押さえれば、そうはならないはずなのだ。

指示を出すなら出すで、何をやればよいかを明確に伝えれば良い。
一から十まで説明しなくとも、頭の中にある完成図のアウトラインだけでも伝えれば良いのだ。
忙しさは避けられないものだが、忙しさを理由に必要なことを省くのは違うと思うのだ。
その積み重ねでプロジェクトに火が付くのも変な話であって、それを避けたいとは思わないのだろうか。


必死であるのは分かるのだが、反対に肝心なことを見失っている。
基礎は土台。初歩の初歩だからこそ重要でもある。省いて良いものではない。
そこを疎かに、あるいは時間の無駄とされている。そしてプロジェクトは燃える。
モヤモヤが晴れた。

続・社内野党な人

下記の記事を書いてから一年が経ったとはてなよりお知らせメールが来て、残念ながら一年という期間を経て尚、同じようなことが起きているので、筆を執った次第。
harist.hatenablog.jp

変わったのは一年前とは異なり、もはや難癖以外の何物でも無くなってしまっていることだ。
何か提案・行動を起こす度、とりあえず文句を言ってくる。……呆れる。
また、彼らはある意味幸せなのかもしれない。彼ら以外の人はわざわざ文句を言ってくるような人間ではないのだから。


伝聞や推測を基にした確かな根拠も持たない彼らの意見、即ち難癖は正直聞くに堪えない訳で、最近はもう、そういう人たちに近づかないようにしているが、辛抱強く「ではどうすれば良いと思うか?」などと、議論の軌道修正を図るのが良いのだろうか。
自分は辛抱強くないので無理そうだが。

組織難しいねという話

先日、このような記事を見かけた。
speakerdeck.com
何故かTwitter上ではネガティブな意志を持って盛んにRTされていたのだが、自分はここに書かれていることが身にしみて良くわかっているため、共感できる部分が多くあった。

最も共感できたのは、「組織批判する人間に役職を与えてはいけない」だ(奇しくもこの該当箇所が取り上げられ燃えていたのだが)。
書いてある内容をそのままなぞる形になるが、いくらスキルがあったとしても、その人が組織方針に賛同していないと、組織の成長スピードにブレーキがかかる。
結局、人は力を持てば自分のやりたいように進めるのであって、その人は自分に似た人間で組織づくりを始め出す。やがて対立が大きくなる。争いが起き前に進めなくなる。
腐ったリンゴが組織を侵食してしまうのだ。
そんなことが事実、実体験としてあった。


また、「任せるときはフォローアップを徹底する」についても言及したい。
自分は指示するにせよ任せるにせよ、「自分ならもっと上手くできる」が前提であるべきだと思っている。
そうでないと、まず自分未満の技量しか持たない人間の指示を素直に聞ける気がしないからだ。
しかし、一体何を履き違えているのか、責任者=ただ仕事を投げる係だと思っている人間がいる。
何もフォローをしない、あるいはできなかったりする。
そして結果を出しても感謝などせず、自分の手柄にする。
誰がそんな人間の下に付くのかと思う(これが前述の組織批判する人間に役職を与えてしまった結果でもある)。


正しい評価とやらが実際に行えるのか、それは疑問ではあるものの、正しくない評価がこれらを招くなら、最低限これらを招かない結果となるような評価は行う必要がある。
面接や面談など、限られた時間内で結論を出すのは難しくとも、三ヶ月も一緒に働けばその人を見極めることは十分可能だと経験上思う。
腐ったリンゴは組織にいらない。

視野の狭さを疑いたい話

夏季休暇も終わり、ぬるま湯のような日常から熱湯へ逆戻りして一週間経った。
久々に自分が提案するその全てにダメ出しを食らうような無能さも味わい、さっそく落ち込んでいるところ。
考えの足りなさ、対する相手の地頭の良さや能力の違いから、同じフィールドに立てない悔しさが滲み出て、自分をほとんど呪ったりもした。

しかし、それで自分の全てが駄目なのだろうか。
自分以外に誰も自身を責めてはいないし、別に誰の迷惑になっている訳でもない(たぶん)。
もし一瞬の内にこのように開き直るようでは、それはそれで問題なのかもしれないが、ウジウジと落ち込んでいても仕方がないのもまた事実。

ネガティブな精神状態は思考に異常をきたす。視野が狭くなりがちで、自分は内罰的な考えになりがちだ。
だが、自分が欲しいのはネガティブな頭で考えられた案ではなく、冷静な頭で考えられた案なのだ。
落ち込んだ状態から出た案に関しては、見えている範囲が適切な広さであるのか、まずは疑うようにしたい。

Visual Studio Code 32ビットから64ビットへの移行

Visual Studio Codeをエディタとしてリリース時より愛用している。
code.visualstudio.com

つい最近、64ビット版への対応が成され、切り替えたいものの、
アドオンなどの環境や設定が引き継がれるのか少々不安だった。

リリースノート見ろって話だが、結論から言えば何ら問題なかった。
https://code.visualstudio.com/updates/v1_15#_windows-64-bit


上記リンク先の注意書きにある通り、まず32ビット版をアンインストールし、その後64ビット版をインストールする。環境も保持されるとある。
実際に64ビット版をインストールしてみたところ、環境設定も引き継がれた。



以上。

開発者なら開発しようという話

何故このような当たり前の話をしようと思ったのかというと、世の中には知ったかぶりをする人間や自分の手を動かす大切さを知らない人間がいて、それでいて開発者を名乗る人間がいるからだ。
当然、開発者の業務は開発だけではないのは認める。しかし、開発しない人間が開発者かと言えばそれは違うだろう。


私の先を行く人は皆、何かしらのプロダクトや機能開発を行い、それが人の役に立っている。
私もまた、全てではないにしろ、それがあると自負している。
だが、不思議な人間はいるものだ。
自分で扱ったことのない見知った程度の技術をひけらかし、しかし何ができるのかと言えば特に無く、作ったプロダクトも特に無く、他人を不快にさせる難癖だけはやたらと得意な人間が。


こいつは何だ。
開発者なら開発をしよう。
製品を作ろう。
話はそれからだろう。


そんな怒りを通り越して呆れるような出来事があったので(このようなポエムを書くほどだ)、自戒を込めてメモ。