いろいろ足りない

不足分を補いたい

優秀さとは何だろう?

仕事が立て込んでおり、余裕が無い。
一日何も食べず仕事をし、帰宅後うがいをしていたら急に気持ち悪くなって胃酸を吐いた。
その原因はおそらくストレスによるものだろう。体力的にも精神的にもダメージを負っている状態だ。
そのストレスの原因はといえば、つまるところ職場での自分の無能さに起因しているのだが、逆に優秀さとは何だろうと考えてみる。

1.頭が良い、切れる
人によって頭が良いとする定義は異なるかもしれないが、優秀と評価される最初の条件であろう。
自分の中では、問題や課題を見つけ、素早く最適な形で解くことができる人が頭の良い人だと思う。
その上で、学問を修めていると尚良し。


2.思いやりがある、他人の気持ちを推し量れる
いくら頭が良くとも性格や人間性を疑われていては、やはり優秀と言い切れなくなる。
自分の都合だけを優先させ、他人に迷惑をかける例を何度も見てきた。
たとえ頭が良くとも、そんな人が優秀だとは思えない。
言うまでもなく人間は感情を持つ生き物だ。
感情に振り回されるべきではないが、同時に感情を否定すべきでない。そう思う。


3.ユーモアがある
持論の域を超えないかもしれないが、1と2の要素を兼ね備えていないとユーモアは生まれないと思う。
しかし、頭が良くて、人の気持ちを汲めて尚、つまらない人もいる。


仕事上ではマネジメント能力だとか、経験だとか様々な要素が絡んでくるのだろうけれど、まずは人としての重要となる面を大切にしていきたいところ。

身の回りでのプロジェクトが燃えやすい理由を考えてみた

後々モヤモヤとした気持ちを引きずってしまうと思ったので、上手くできるかどうかは別にして、言語化して残しておこうと思う。
また、身の回りでの出来事を単なる作業要員の立場でやんわりとボカして書くので、全てにこれが適用できるかというとそうではない、むしろレアケースな部類だと思う。


プロジェクトとはどうあるべきだろうか。
PMBOKを参考しましょうとでも言われそうだが(実際否定はしない)、多忙になっていくにつれてそんなことを考える余裕など頭から消えていくのではなかろうか。

では、プロジェクトリーダーとはどうあるべきだろうか。
これだという答えをはっきりと言うことはできないが、プロジェクトを成功させること、目的を達成すること、それに尽くすことではなかろうか。

では、プロジェクトが炎上しないようにするためにはどうするべきだろうか。
プロジェクトリーダーはやる気が無い訳ではない。特段無能であるわけでも無いとは思う。
プロジェクトリーダーは全力を尽くしている。しかし燃えやすい。
多分、ここがモヤモヤとしているポイントだと思う。


何故燃えるのか。自分なりに分析を加えてみた。

有り体に言えば、歩を前へ進めることができていない。
多分、初歩の初歩ができていない。
最初から止まっている。あるいはずっこけている。

例えば、肝心のそもそもの目的の共有をしていなかったり。
誰が何をやっているかを把握していなかったり。
手配、根回しが必要なことを放置し、必要な時に必要なものがなく後手に回ったり。
指示と言える指示を出していなかったり。

肝心の手足を上手く扱えていないのでは、どこにも行けない。
その結果、火を小さなうちに消すこともできず、ただ燃え上がってしまう。


では、何故そのような初歩的なことができていないのか考えてみた。
初めは多忙さによるものが原因かと考えた。抱えるプロジェクトは一つ二つではないからだ。
しかし、押さえるべきところを押さえれば、そうはならないはずなのだ。

指示を出すなら出すで、何をやればよいかを明確に伝えれば良い。
一から十まで説明しなくとも、頭の中にある完成図のアウトラインだけでも伝えれば良いのだ。
忙しさは避けられないものだが、忙しさを理由に必要なことを省くのは違うと思うのだ。
その積み重ねでプロジェクトに火が付くのも変な話であって、それを避けたいとは思わないのだろうか。


必死であるのは分かるのだが、反対に肝心なことを見失っている。
基礎は土台。初歩の初歩だからこそ重要でもある。省いて良いものではない。
そこを疎かに、あるいは時間の無駄とされている。そしてプロジェクトは燃える。
モヤモヤが晴れた。

続・社内野党な人

下記の記事を書いてから一年が経ったとはてなよりお知らせメールが来て、残念ながら一年という期間を経て尚、同じようなことが起きているので、筆を執った次第。
harist.hatenablog.jp

変わったのは一年前とは異なり、もはや難癖以外の何物でも無くなってしまっていることだ。
何か提案・行動を起こす度、とりあえず文句を言ってくる。……呆れる。
また、彼らはある意味幸せなのかもしれない。彼ら以外の人はわざわざ文句を言ってくるような人間ではないのだから。


伝聞や推測を基にした確かな根拠も持たない彼らの意見、即ち難癖は正直聞くに堪えない訳で、最近はもう、そういう人たちに近づかないようにしているが、辛抱強く「ではどうすれば良いと思うか?」などと、議論の軌道修正を図るのが良いのだろうか。
自分は辛抱強くないので無理そうだが。

組織難しいねという話

先日、このような記事を見かけた。
speakerdeck.com
何故かTwitter上ではネガティブな意志を持って盛んにRTされていたのだが、自分はここに書かれていることが身にしみて良くわかっているため、共感できる部分が多くあった。

最も共感できたのは、「組織批判する人間に役職を与えてはいけない」だ(奇しくもこの該当箇所が取り上げられ燃えていたのだが)。
書いてある内容をそのままなぞる形になるが、いくらスキルがあったとしても、その人が組織方針に賛同していないと、組織の成長スピードにブレーキがかかる。
結局、人は力を持てば自分のやりたいように進めるのであって、その人は自分に似た人間で組織づくりを始め出す。やがて対立が大きくなる。争いが起き前に進めなくなる。
腐ったリンゴが組織を侵食してしまうのだ。
そんなことが事実、実体験としてあった。


また、「任せるときはフォローアップを徹底する」についても言及したい。
自分は指示するにせよ任せるにせよ、「自分ならもっと上手くできる」が前提であるべきだと思っている。
そうでないと、まず自分未満の技量しか持たない人間の指示を素直に聞ける気がしないからだ。
しかし、一体何を履き違えているのか、責任者=ただ仕事を投げる係だと思っている人間がいる。
何もフォローをしない、あるいはできなかったりする。
そして結果を出しても感謝などせず、自分の手柄にする。
誰がそんな人間の下に付くのかと思う(これが前述の組織批判する人間に役職を与えてしまった結果でもある)。


正しい評価とやらが実際に行えるのか、それは疑問ではあるものの、正しくない評価がこれらを招くなら、最低限これらを招かない結果となるような評価は行う必要がある。
面接や面談など、限られた時間内で結論を出すのは難しくとも、三ヶ月も一緒に働けばその人を見極めることは十分可能だと経験上思う。
腐ったリンゴは組織にいらない。

視野の狭さを疑いたい話

夏季休暇も終わり、ぬるま湯のような日常から熱湯へ逆戻りして一週間経った。
久々に自分が提案するその全てにダメ出しを食らうような無能さも味わい、さっそく落ち込んでいるところ。
考えの足りなさ、対する相手の地頭の良さや能力の違いから、同じフィールドに立てない悔しさが滲み出て、自分をほとんど呪ったりもした。

しかし、それで自分の全てが駄目なのだろうか。
自分以外に誰も自身を責めてはいないし、別に誰の迷惑になっている訳でもない(たぶん)。
もし一瞬の内にこのように開き直るようでは、それはそれで問題なのかもしれないが、ウジウジと落ち込んでいても仕方がないのもまた事実。

ネガティブな精神状態は思考に異常をきたす。視野が狭くなりがちで、自分は内罰的な考えになりがちだ。
だが、自分が欲しいのはネガティブな頭で考えられた案ではなく、冷静な頭で考えられた案なのだ。
落ち込んだ状態から出た案に関しては、見えている範囲が適切な広さであるのか、まずは疑うようにしたい。

Visual Studio Code 32ビットから64ビットへの移行

Visual Studio Codeをエディタとしてリリース時より愛用している。
code.visualstudio.com

つい最近、64ビット版への対応が成され、切り替えたいものの、
アドオンなどの環境や設定が引き継がれるのか少々不安だった。

リリースノート見ろって話だが、結論から言えば何ら問題なかった。
https://code.visualstudio.com/updates/v1_15#_windows-64-bit


上記リンク先の注意書きにある通り、まず32ビット版をアンインストールし、その後64ビット版をインストールする。環境も保持されるとある。
実際に64ビット版をインストールしてみたところ、環境設定も引き継がれた。



以上。

開発者なら開発しようという話

何故このような当たり前の話をしようと思ったのかというと、世の中には知ったかぶりをする人間や自分の手を動かす大切さを知らない人間がいて、それでいて開発者を名乗る人間がいるからだ。
当然、開発者の業務は開発だけではないのは認める。しかし、開発しない人間が開発者かと言えばそれは違うだろう。


私の先を行く人は皆、何かしらのプロダクトや機能開発を行い、それが人の役に立っている。
私もまた、全てではないにしろ、それがあると自負している。
だが、不思議な人間はいるものだ。
自分で扱ったことのない見知った程度の技術をひけらかし、しかし何ができるのかと言えば特に無く、作ったプロダクトも特に無く、他人を不快にさせる難癖だけはやたらと得意な人間が。


こいつは何だ。
開発者なら開発をしよう。
製品を作ろう。
話はそれからだろう。


そんな怒りを通り越して呆れるような出来事があったので(このようなポエムを書くほどだ)、自戒を込めてメモ。

話せば分かるは幻想か

心理的安全がチームにとって重要だという説は、自分の中では日々強固な確信へと移り変わっている今日この頃。
そのことを知れば知る程、逆に心理的安全を脅かす人間が目立ってくる。
いや、今回言いたいのはそれ以前の問題だった。

自分としては、業務上の問題はつまるところ人間関係の問題であり、即ちコミュニケーション不足により起きるものだと思っているので、基本的には話せば分かると考えている。
あー、この人は分かってない、そう思うのはまだ早い。
現に今、自分が話しても分からない問題に直面しているのだから。

自分が正しいと思って疑わない人がいる。
そういう人は大抵、人の話を聞かない。
何故なら、自分が正しいのだから人の意見など聞く必要など無いからだ。
しかし、自分が正しいと思っている人でも間違いは当然ある。むしろ多い。
判断基準が自分しか無いからだ。
こういう人の間違いを正しい方向に持っていくのは非常に疲れる。
説明、議論に時間がかかる。あるいはコミュニケーションコストが高いと言うべきか。

ほんの些細な問題に対しても数十分議論していたのでは埒が明かない。
話せば分かるは円滑に適切にコミュニケーションが成り立つ場合にのみ、成立するようだ。

マウント取る人めんどくさいという話

組織の在り方とは即ちリーダーシップの在り方と実感する今日この頃。
リーダーとして相応しい人の下につき、こうも組織は変わるのかと実感している。
業務に楽しさすら芽生えてきた分、楽しくないことが際立って目立ってきた。

たまに、伝聞だけで物事を語る人がいる。
本やウェブサイトで見知ったことをそのままペラペラ話す人のことだ。
一を聞いて十を知るように、知識や経験に基づいて物事の本質を導き出す天才であればそれもよかろう。
しかし、伝聞による情報と実際に自分が体感して得た情報とでは天と地ほどの差があると思っている。
二次ソースと一次ソース、どちらが当てになるかという話である。

世の中には、そのような二次ソースでマウントを取ろうとしてくる厄介な人がいる。
しかも今回の場合、一次ソースを扱った自分に対してだ。もうアホかと。
上で述べたことをそのまま言えば良いのだが、自分としてはあまり角を立てたくない。
それは自分の議論のやり方ではないし、自分のポリシーに反する。
割と損な性格をしているのだろうか。

そしてまた、自分は口と頭が良くない。
その時々でスマートに対応できれば良いのだが、思うように上手くいかない。
今後は、「自分も今まではそのように思っていたのだが、実際に扱ってみてこのように感じた」というように、
二次ソースたる相手を立てつつ、一次ソースである自分の意見を述べるのが良さそうだ。

夜眠れないほどにイライラしたのでメモ。

最近思っていることを連々と

基本的にTwitterにでも書いとけというものばかり

技術屋として食っていく方法

そもそも食っていけるほどの技術力など持ち合わせていない。
良く言えば器用。割と何でもできる。
悪く言えば自分ができることは他人でもできる。自分の中にコアとなる技術が無い。
一体何があれば生きていけるのか、悩んでいる。
多分、頭の良さとかそういうのとは異なり、勇気、そして行動力が足りない。

自分の頭で考える?

大事な人がそう言ったから。
思い込みが事実を凌駕する。
そして本人に自覚はない。
いや、あの、自分に関することを自分のいないところで勝手に話を進めないで……。

配偶者は必要か?

人生のパートナーとして、お互い働いてお互いの目的のために組む、即ち結婚するのならありという立場。
自分としては、かなり広義な意味で、相手の気持ちを尊重したいと考えている。
つまり、そこら中で行われているような、恋愛的に相手を「落とす」というのも相手の気持ちを変えてしまう事と考えていて、これは自分の意に反する。
なので、どうしても恋愛結婚というものが自分の中でしっくり来ていない。
それは臆病なだけと言われそうだけど、相手が最初から自分のことを想ってくれているくらいでないと、ここらの問題はどうにもできそうにない。
おとなしくギャルゲーの世界に行こう。やったこと無いけど。